── ジャスダック上場、おめでとうございます。上場前からの株主に、美容室の法人や美容室経営者の名前が並んでいますね。
創業から10年が経ったころ、上場をめざして増資するため、1社1口100万円、10株100万円で美容室50社から投資を受けました。
それから20年かかりましたが、20社もの美容室が株を持ち続けてくれました。今回の上場を「本当によかった」と喜んでいただいています。
2期連続で1億円の赤字を出すなど倒産の危機もありましたが、「美容師応援カンパニー」としてここまで来ることができました。
── 1991年3月に「リクエストQJ」を創刊されました。今から30年も前に、美容室に特化した求人情報誌をつくろうと思ったのはなぜですか?
採用難の美容業界で、ウソのない正確な求人情報を出したかったからです。
新卒で化粧品メーカーに入社し、美容室を回る中でくりかえし目にしたのは、採用に苦労するサロンオーナーの姿でした。
技術も資金もあり、物件も押さえた。でも、スタッフが集まらないので店を出せない。そんなことがたくさんありました。
── 今ほど美容室が多くない当時も、それほど深刻な人手不足だったのでしょうか?
そのころ、美容学校は180校ほどで、今より100校も少なかったんです。それにもかかわらず、全国的に定員割れとなっていました。
90年代後半にカリスマ美容師ブームが起きるまで、学生も人手も増えずで、採用は本当に大変なことでした。
── 過酷な状況で、美容室はどのように採用活動をしていたのでしょうか?
古くは新聞です。“読売新聞の火曜の求人欄”というのが定番で、美容師の求人がズラリと1ページ半くらい続いていました。
新聞の求人欄というのは1行で8000円みたいな価格設定なので、インターンは「イン」、パーマは「パ」と、文字数をギリギリまで減らしていましたね。
── そんな最低限の情報では、サロンの雰囲気を伝えるのはむずかしいですね。
そこで台頭したのが、求人情報誌です。大企業が女性向けに出したもので、美容関係の求人情報が毎号10ページ程度ありました。
ただ、ここの求人情報は正確ではない、給料や休日数はサバを読んでいるというのが業界の常識でした。
これでは、ウソをつかない正直なオーナーさんが損をする。健全な競争ができず、合理性が働かないようでは美容業界が良くならない。それなら、自分でつくろうと思いました。
化粧品メーカーを4年で辞めて、1991年3月に創刊号を発行し、7月にセイファートを立ち上げました。当時30歳、元同僚たちとのスタートでした。
── やはり自分のサロンをよく見せたいわけですから、その状態では、正確な求人情報にしようと思ってもむずかしいのではないでしょうか。
そこで、リクエストQJは、読み物の充実した雑誌にしたんです。
この雑誌は、美容師さんの自宅に届きます。すぐに捨てられる求人情報誌とは違い、リクエストQJはずっと業界の皆さんの手元に残ります。実際、創刊から30年間ずっと購読している方もいるわけで、そこでウソはつけませんよね。
「ここではウソをつかないでください、正確な情報を書いてください」。それが創刊から続く、リクエストQJの求人です。
── 創刊当時の発行部数は、どのくらいでしたか?
最初は3万部でした。新聞や求人情報誌はもっと部数が多いわけですが、そのうち何人が美容師でしょう?
リクエストQJの読者は、創刊当初から全員美容師さん。美容室の求人に特化しているというのが、我々の強みです。
── そうしてリクエストQJの快進撃が始まるのですね。
いえいえ、3万部でスタートしたものの1万5000部まで半減し、印刷や発送費用が工面できなくて5000部まで落ちた時期もありました。
創業から6年ほどはとにかくお金がなくて、サラ金のカードの枚数だけが増えていきました。当時のカードを捨てずにいるのですが、5cmくらいの厚みのある束になっています。
とても苦しくて、7人まで増えていた社員の給料も遅配するほどでした。それでも「我々が倒れたら、美容室専門の就職情報誌なんてものは二度と生まれないぞ」という思いだけで踏ん張りました。
── 底を打った後は?
その後は発行部数が順調に増えていき、最高で7万部までいきました。 掲載サロン数もどんどん増えて、ピーク時は、某大手結婚情報誌みたいな分厚さでしたね。
── 紙からウェブへの切り替えも、大きな転換点でしたね。
リクエストQJの創刊から16年後の2007年3月に、美容師さんの求人情報をウェブサイト上で検索できるサービスとして「リクエストQJナビ」を始めました。2007年というのは、アメリカでiPhoneが誕生した年です。
当時、パソコンを持っている美容師さんは少なくて10人のうち3人程度でしたが、スマートフォンの普及にともない環境が劇的に変わっていったわけです。
紙が強いうちにウェブでも一番を取ろうとリクエストQJも切り替えを進めましたが、無理をしすぎて、2012年、2013年と2期連続で1億円以上の赤字を出してしまいました。
── 2期連続で1億円の赤字は、屋台骨がゆらぐのでは?
債務超過で、銀行からの融資が止まりました。会社は倒産の危機なのに、朝出社すると、それを知らない社員がわいわいと笑顔で働いている。涙が出そうで、社長室に逃げこんだ日もありました。
もう資金がもたなくて、株主でもある美容室のオーナーさん数人にお話したら、二つ返事で「どこに振り込んだらいいの」と。ありがたくて泣きそうになりましたね。そうして何とか乗り切ることができました。
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