【新春 特別企画】
この先を知る。過去を知れば未来がわかる。
ウエラジャパン営業副本部長、資生堂プロフェッショナル常務取締役営業戦略本部長を歴任した春田牧彦氏(ピンポン社長)が、美容業界の歴史を振り返ります。
昭和32年、「美容師法」発布
昭和三十二年法律第百六十三号
美容師法
第二条 この法律で「美容」とは、パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすることをいう。
この法律が発布された昭和32年(1957年)は、まさに戦後復興の時期にあたり、国策として西洋文化を積極的に取り入れ、ファッションも髪形も西洋化が急激に進みます。
こうした中、当時パーマネントウェーブが女性のお洒落、身だしなみとして定着し、大人の証としてパーマヘアが愛好されたのです。
ちょうど、その時代に美容師法は制定されます。
それゆえに過去の美容室は“パーマ屋”と称されていたのです。
パーマ屋は優れたビジネスモデル
このパーマ屋という生業は、優れたビジネスモデルでした。
お客様は髪形を整えるために美容室を利用する。髪形(デザイン)を整える当時の手段はパーマでカタチづけ、セットで仕上げる。よって髪形(デザイン)が崩れたり、あるいはお洒落をしたりする必要があると、女性は髪形(デザイン)を整えるために美容室を利用したのです。
パーマヘアの特徴は、ミディアムが主流でパーマの持続力はほぼ3カ月。よって3カ月に一度はパーマをかけ、そして、その中間では髪形(デザイン)を整えるために髪を切り、さらにTPOに応じてセットのために美容室を利用する。
昔、美容室は儲かった。
それは、お客様の美容室のニーズが今の比ではなく、美容室はどこもお客様でにぎわっていたからです。それが1980年代後半からのバブルの時代を境にパーマという髪型が陰り、パーマ屋さんというビジネスモデルが崩壊します。
画一的な姿を否定した女性たち
その時代、なにが起きていたのか? それは女性の社会における地位の向上です。
中でも大きな転機となったのが、1985年に成立した「男女雇用機会均等法」。
これによって男女差別、区別が緩和され、女性の証でもあったパーマヘアという髪型の否定がはじまったのです。
女性だからパーマヘア、この概念が壊され、代わってストレートのロングヘアに流れていきます。あのバブル時代に風俗となったワンレン、ボディコンがその流れを誘発したのです。
それ以降、一貫してパーマは女性の興味対象から薄れ、その需要を低下させます。その背景には、パーマは手間がかかる、髪が痛む、時間がかかるといった髪型としてのネガティブな点が必要以上にクローズアップされたこともあるのです。
カラー隆盛からカリスマ美容師ブームへ
こうしてパーマという美容室の柱のビジネスは陰り、一時期、美容室は勢いを失いかけます。
それを救ったのは、当時、若者の遊び心から生まれた茶髪ブーム。髪型(デザイン)に色が取り入れられ、美容室はカラーという新たなビジネスを手にしました。
当時はバブルが崩壊し、日本の景気は最悪であったにもかかわらず、美容業はこの茶髪ブーム、カラーの成長で元気な産業としてメディアから注目され、それがきっかけとなり、後にあの“美容室バブル”と言われたカリスマ美容師ブームを引き起こします。
ロングヘアはデザインへの評価を下げる
世の中が変わると人の生き方が変わる。
人の生き方が変わると髪型が変わる。
髪型が変わると美容室のあり方が変わる。
世の中の変化に呼応して美容室のカタチが変わるのです。
パーマが否定されて台頭したロングヘアの定着は、美容室の利用回数を減少させました。NBBA(全国理美容製造者協会)の実施している美容に関わる消費者調査では、年間の美容室利用回数は5.9回。かつてのパーマ屋の時代に比べると半減です。
それでいて美容室の店舗数は、大幅に増加。単価の上昇や男性客の取り込みによってしのいではいるものの、過去を知る人にとって美容室は儲けづらい商売になっているのです。
その元凶になっているのは、デザイン性の低いロングヘアを野放図にしたことで、本来、美容室の売り物であるはずの髪形(デザイン)への評価が低下したからです。
このように歴史を知れば、美容室が、美容師が今後どうあるべきかがわかります。
髪は長くなればなるほど髪型(デザイン)のバリエーションが減り、それに伴い、美容室の必要性も失われるのです。
だから、その答えは端的に、「美容師よ、もっと髪を切れ」ということです。
春田牧彦(はるた・まきひこ)
株式会社ピンポン代表取締役社長。日本大学経済学部卒。ウエラジャパン営業副本部長、資生堂プロフェッショナル常務取締役営業戦略本部長を歴任。2012年、(株)ピンポンを設立。美容業の持つポテンシャルを生かす情報と具体的戦略を提供する。