かつて技術力がありながら5年連続減収を続けたデミ コスメティクス。同社がV字回復し、さらに躍進を続けているヒミツはどこにあるのか。龍村和久プレジデントにこの20年間の歩みと今後の展望を語っていただいた。
目次
「事業がやりたい」と大手IT企業から転身
–龍村さんは、日華化学に入る前はどんなお仕事をされていたのですか?
高校卒業後、アメリカでデータベースを学びバチェラーオブサイエンス(理学士号)を取って帰国、日本オラクルに入社しました。転職する半年前には、金融ソリューションの本部長、経営幹部になっていました。
–IT系大手のエリートコースですね。なぜ転身したのですか?
前職ではアメリカ本社から言われたものを売るだけ。全部シリコンバレーの本社で決定されて、日本には経営権がなかった。事業をすることが許されないんです。でも僕は自分の意思で事業をやりたかった。
悶々としていたタイミングで義父(現社長の父)が、「化粧品事業の立て直しに興味はないか?」と声をかけてくれたので、「やりましょう」と日華化学に入社したんです。その頃のデミは5年連続減収減益でした。
まず手を付けたのは営業改革
–2004年12月に日華化学へ入社、翌年執行役員に就任されました。デミ コスメティクス(以下デミ)を建て直すために、まず何から始めたのですか?
営業ですね。執行役員になる前の1年は「営業として表に出してくれ」とお願いをして、現場の営業から始めました。大阪支店でディーラーを担当して臨店もしていました。サブリーダーという役職でしたが、年収はそれまでの約半分。「そういや、年俸の交渉を忘れていた」と思いました(笑)。
当時の売上は化粧品事業が38億円、営業利益は3億円ほど、業界で15番手ぐらいでした。だから、当時のデミの力では安心して販売してくれる代理店は1社もなかった。そこで「自分たちで売るしかない」と考え、営業体制を変更しました。こちらで「このサロンに導入してほしい」というサロンを選んで営業をかけたんです。
その戦略の効果が出ました。さすがに5年前のレベルまでいかなかったのですが、1年でV字回復しました。
プロダクトアウトからマーケットインに
–営業改革の次は?
商品開発の企画プロセスを、プロダクトアウトからマーケットインに180度変えました。
昔から「技術のデミ」といわれているだけあって、技術力はあって、商品はいい、ただ売るのは下手だった。それまではマーケットを考えず、研究主導で「こんなのが面白そう」という商品を作って出していたんです。ニッチな、一部の人にだけ絶賛されても、広く売れる商品はできない。
しかし、当たれば大ホームランになる。1986年のポリサージュ、2000年のミレアムというように、10年に1回ドーンと大当たりして、次の10年ズルズルと下がり続ける。また10年後に大ホームランを打って、また10年ズルズルと下がる、これでは経営が安定しません。
そこで、プロダクトアウトからマーケットインに切り替え、打率そのものを上げていく方針に転換しました。結果、安定して成長するようになりました。
主力商品をヘアカラーからヘアケアに転換
2006年、研究のリソースをカラーからヘアケアに大きく転換しました。技術がコモディティ化して今後は価格競争が始まる、このまま続けても儲からないと判断したからです。
これからはヘアケア、特に店販に力を入れるべきだと考えました。当時、デミではほとんどの研究員がヘアカラーの研究をしていましたが、3分の1だけ残し、3分の2をヘアケアの研究に振り向けました。
–市況を捉えて、研究開発から変えていったのですね。
韓国のみを残して海外拠点を撤収
–他にはどんなことを?
海外拠点も撤収しました。私が来たときに、海外はアメリカ、香港、台湾、韓国、中国、シンガポール……覚えているだけでこれだけあった。効率が悪いので韓国だけ残してあとは全部撤収しました。
–なぜ韓国だけ残したんですか? 勢いのある韓国に日本から入るのは大変そうですが。
韓国では市場が確立していましたから。一日の長があって、すでに基盤ができていた。
–諸外国を切って韓国に集中した龍村さんの施策が大当たりしたんですね。
結果論ですが、奏功しましたね。
–今後、国内で強化していくのはヘアケア分野ですか?
基本的にはシャンプー、ホームケアですね。今はスカルプとメンズに焦点を当てています。
–潜在需要が大きそうですね。
むこう10年20年は、マーケットは大きくなることはあっても小さくなることはないでしょう。メンズはプロフェッショナル業界では小さいですが、拡大し続けるはずです。
ODMで成長する山田製薬
–化粧品の新工場が2026年末に竣工予定ですね。デミと山田製薬は、それぞれどのくらい売り上げがあるのですか?
山田製薬の比率が30%を超えるようになりました。デミと合わせてプロフェッショナル領域で100億円くらいですね。成長率をみると山田製薬のほうが高いです。ODM事業を本気でやり出してから約10年、急激に成長しています。
さらなる飛躍で業界ベスト3入りを目指す
–デミは一流メーカーの仲間入りをされたといってもいいのではないでしょうか?
まだまだです。業界で15位ぐらいだったのが、14、13、12と、年に1つずつぐらいで抜いていった。途中で足踏みした時期がありましたし、今は10番目くらい。一流はトップだけ。これから上がっていくために、国内でベスト3、少なくともベスト5には入らなきゃ。
–そのベスト3、ベスト5に入るには、どのくらいの売り上げを想定していますか?
国内サロン事業の売上高が100億円から120億円を超えれば、いやでもベスト5に入るはず。ベスト3に入るには、150億円は欲しいところですね。
–成長に伴い、ポジショニングに変化はありましたか?
売り上げが上がるにつれて「売るのは下手」というイメージは徐々に払拭され、「技術のデミ」「商品のデミ」といったいいほうのイメージが残っていると思います。
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取材/大徳明子 文/曽田照子 撮影/横山翔平