50歳、60歳になっても、毎日お客さまに向き合っていたい。還暦すぎても、おしゃれでかっこいい美容師でありたい、と考える人は多いだろう。ではそのためにどうしたらいい?
50代後半で銀座の一等地にひとりサロンを開き、客単価は平均3万5000円。今も毎日お客さまにじっくり向き合っている笠本善之(かさもと・よしゆき)さんの道のりに、そのヒントが詰まっている。
理系からの転身、地元で店をオープン
笠本さんが自分の店をオープンしたのは若干25歳の時。高専を中退してどんな経緯で店を持つことになったのか。理系から転身し、地元で店を開くまでの道のりを話していただいた。
1965年に山口県宇部市で生まれ、普通のサラリーマン家庭で家族に愛されて育った。
子どもの頃、勉強はできる方だった。努力しなくても成績はよかった。しかし勉強は好きではなく、図工や美術など描いたり作ったりする授業の方が好きだった。
中学卒業後、宇部工業高等専門学校(宇部高専)に入学。山口県内でもトップクラスの進学先だ。
しかし次第に「僕は何のためにこんなことやっているんだ……」と思い始めた。笠本さんは趣味のバンド活動やファッション、ヘアメイクにのめり込み、学校から足が遠のいていった。
美容に関わったきっかけは、高校2年の夏休み、バンドの活動資金のために始めた美容室のアルバイトだった。
当時僕は「音楽、ファッション、ヘアメイクの三本柱で俺は飯を食うんだ」って粋がっていて。その三つの中で、インターネットもない時代、田舎の高校生が、具体的にイメージできる仕事は美容しかなかった。
近所に大きめなサロンがあったので、そこにいきなり入っていって「ごめんください、アルバイトを募集してませんか?」ってお願いしました。
高専にそのままいれば、将来は、誰もが知る一流企業という安定したエリートコースが開けていた。しかし、年が明けて高校2年が終わろうとする2月、笠本さんは名門宇部高専を退学し、以前からアルバイトをしていた店で、美容の道に入ることにした。
超・実践的な見習い生活
1982年、17歳の笠本さんは美容学校の通信教育部に入学する。同時進行で、美容室で見習いとして働いた。
「デビューまで何年かかりましたか?」って聞かれるんですけど、「いや、デビューまで半年もかかってないね」というのが正直なところ。
デビューという区切りもなかった。店長が「今日、どうする? あ、こんな感じ? OK、笠本行ける? いやお前できるじゃん、こないだ教えたじゃん、あの切り方でさ、下3センチ切って。駄目だったら俺が最後見るから」って……めちゃめちゃ実戦形式でしたね。
免許を取ったあと、その店で「お礼奉公」として5年ほど働いた。辞める時には、系列店の副店長にまでなっていた。
低価格サロンを経て25歳で独立
次に入った店は、カット1200円、いわゆる低価格サロンだった。
採用と同時に副店長になりました。すごく繁盛していて、2時間待ちもしょっちゅう。切っても切ってもお客さまが減らないんですよ。
そこは歩合があり、いかに数をこなすかで給料が変わるから、スピードはつきました。
低価格サロンで2年ほど経った頃、最初の店で仲良くしてくれた先輩が独立し、笠本さんを誘ってくれた。
先輩の店で2年ほど働きました。3店目ともなると、お客さまもそれなりについてくださって「そろそろ自分でやらないとな」という気持になった。美容師を始めて8年、25歳の時に地元で独立しました。
やりたいことは公言する
独立にあたり、事業計画書を書いて銀行から借り入れをした。
やりたいこととか、実現したいこととかは、口に出して言うべきなんですよ。僕は「店を出したいんですよ、でもお金がなくて」とずっと言っていた。
それで、銀行とつないでくださった方がいたんです。その銀行は、たまたま、父がずっと細々と給与振り込みで利用していたので「父親が保証人だったら」と、ポンと貸してくださった。
今だったら、今だからこそ、やりたいことがあるなら、SNSで発信するべきだという笠本さん。
そうしたら、いろんな応援もしてくれるし、人とつなげてくれたりする。目標達成、タスクをクリアするには、絶対公言するべきなんですよね。
少し高くても、あなたに切ってほしい
開店の告知のため、人口16万人の市で500通のDMを打った。ほとんどのお客さまが2カ月以内には来店してくれた。
「すいませんね、狭い店で」「それは別にどうでもいいの。だって切ってくれる人は変わらないわけだから」。そんな会話をしたという。
少し時を戻す。
切っても切ってもお客さまが途切れなかった低価格店には「特急カード」といわれるものがあった。
そのカードを持っていれば、何人待っていても優先でカットしてもらえるというシステムで、価格はカット代金と同じくらい。
1年間有効で待たずにすむのは魅力だが、それほど人気はなかった。低価格サロンの客層は「少し待っても安いほうがいい」という人だからだ。
ただ、僕を指名してくださる方は、全員が持っていましたね。「あ、これ買ったら待たなくていいの、じゃあ買うわ」って。
指名料が500円、カット料金の半分ぐらい。プラス特急カードで、2000円ちょっとかかっちゃう。カット料金と合算すると、低価格ではなく、その当時の他のサロンと同じくらいの価格になります。
でも、そうやって「課金してでも笠本さんに切って欲しい」という方が来てくださっていた。
独立しても同じだった。
その当時は、カット&ブローでいくら、シャンプーとカット&ブローでいくら、という料金体系が主流だった。
当時、先輩が立ち上げた店は、カット&ブローで3000円、シャンプーとカット&ブローで3500円。笠本さんはそれより高い3200円と3900円に設定した。
かなり強気の価格設定だ。それでもお客さまは減らなかった。
単価を上げてもお客さまは減らない
なぜ、お客さまはついてきてくれたのか? 笠本さんは「ちょっとずつ、ちょっとずつ、貯金していった感じです」という。
それまでに経験した3店舗、全部を積み重ねたお客さまが来てくださいました。
最初の「ちょっとお前切ってみろよ」って言われたレベルの頃からのお客さまが、低料金のお店にもいらして。
先輩のところにいた2年、そこでも同じお客さまと新しいお客さま。全部が積み重なった。
価格が上がれば、値段だけで来ている方は来なくなりますが、値段じゃない方は「安い方がいいよね。でも別に高いから行かないわけじゃないんだ」みたいなことはあるんじゃないかな。
提供する側は、値上げに対する不安ってありますよね。だけど「値段だけじゃないんだな」ってその頃から思っていた。
当時の妻と2人で切り盛りする笠本さんの店は繁盛した。
しかし、数年後、笠本さんはその店を手放すことになる……(つづく)
笠本 善之
private. 代表
かさもと・よしゆき/1965年生まれ、山口県出身。17歳で美容業界に入り、数店舗を経て25歳で独立。5年後に閉店し福岡に活躍拠点を移した後、TAYAグループに入社。39歳で上京して「GRAND TAYA」の店長に就任。2022年9月、銀座に住所非公開のアトリエサロン「private.」をオープンする。
インスタグラム:@kasamotoyoshiyuki
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取材・文/大徳明子 文/曽田照子 撮影/上米良未来