マツキヨココカラ&カンパニーのプライベートブランド「ARGELAN(アルジェラン)」を大ヒットに導き、自社ブランド「THE PUBLIC ORGANIC(ザ パブリック オーガニック)」を美容室向けに販売開始するカラーズの橋本宗樹代表。
広告やイベントを手がけるプロダクションとしてスタートした「カラーズ」がなぜオーガニックコスメを手がけ、成功を収めることができたのか。橋本代表に自身の歩みと哲学、そして美容室店販への期待を聞きました。
目次
OEMに断られ続けたところからスタート
── カラーズの設立は2000年2月、橋本さんが24歳のときでした。なぜイベントや広告制作を手がけるプロダクションを立ち上げたのでしょう?
もともと、アメリカのスポーツ専門チャンネルを放送していたスポーツ・アイESPNに勤めていて、そこで「X-Sports」というサーフィンやスケボーを集めたエクストリームスポーツのイベントを手がけていたんです。そこからイベントを制作する会社として独立しました。
── では、カラーズはスポーツイベントの企画が中心だったのですか?
いえ、スポーツそのものというより、カルチャーとしてのスポーツイベントです。サーフィンやスケボーなどのいわゆる“横ノリ系スポーツ”は、スポーツと音楽とファッションが融合していて、スポーツイベントの中に音楽もあればアパレルもあるんです。
── そこからコスメを手がけるようになったきっかけは?
だんだんアートカルチャーと密接につながるイベントを行うようになり、「おしゃれなことをやる会社だな」という理解が仲間内にあったと思います。
そのとき、たまたまマツモトキヨシにいる友人から「プライベートブランド(PB)を作りたい」と相談されました。世の中に影響を与えるようないいものを作ってくれるんじゃないかと考えてくれたのだと思います。それが、化粧品を手がけるようになったきっかけです。
── 2008年にマツモトキヨシのPBとして発売されたヘアケアブランド「LUNG TA(ルンタ)」のことですね。これが最初のモノづくりですか?
そうです。何もわからなくて、声をかけたOEMメーカーに断られまくるところからスタートしました。こちらは何者か知られていないのですから、断られてもしょうがない。最終的に引き受けてくれたところは、社長が自ら気持ちで動いてくださいました。
── 「ルンタ」は、白または青のパッケージにブランド名が描かれているだけの、すごくミニマルでシンプルなパッケージが印象的です。
今はマスマーケットにもこのようなデザインは結構ありますが、私たちはマスマーケットのミニマルデザインの先駆者になることを意識してきました。「ルンタ」もそうですし、「ARGELAN(アルジェラン)」も「THE PUBLIC ORGANIC(ザ パブリック オーガニック)」もそうですね。
また、かつての日本の化粧品のパッケージには、ほこりや傷を防ぐシュリンクフィルムがついていたのですが、カッコ悪いので取りました(笑)。これをしたのは僕らが最初だと思います。当然、反対されましたが、そこは情熱で。日本には同調圧力というか、新しいことにチャレンジしづらい環境がありますよね。そういうものをひとつずつ崩していっているという自負があります。
オーガニックコスメで「次の時代」を作りたい
── 「ルンタ」で大成功を収められて、次に手がけたのがオーガニックコスメ「ETHICAL(エシカル)」です。なぜオーガニックコスメを作ろうかと考えたのでしょう?
イギリスの自然派コスメブランド「THE BODY SHOP(ザ・ボディショップ)」の創業者アニータ・ロディックの姿勢にとても共感したからです。彼女は世界で初めて化粧品の店で政治的なメッセージを発信した人でした。僕も昔、ジャーナリストに憧れていたので、そういう姿勢はすごくカッコいいと思いましたし、ただ営利を追求するのではなく、人生を賭ける意味があると思ったんです。
調べていくうちにオーガニックコスメというものがあると知りました。肌や髪をきれいにするだけではなく、オーガニックコスメには創始者の哲学や思いが込められています。そこがすごく魅力的だったので、これをやろうと思いました。ただ、当時は日本で生産できるところがほとんどなくて、しかも、すごく高かったんです。結局、人に紹介してもらってイタリアで作りました。
── そして、オーガニックコスメをマツモトキヨシのPBでも手がけて大ヒットと。それが「アルジェラン」ですね。
当時、ヨーロッパ中の農家をまわりました。イタリア、フランス、ブルガリアなど、ヨーロッパ各地に足を伸ばしていろいろ見て回っていたのですが、向こうでは、オーガニック認証を取得した化粧品がスーパーマーケットやドラッグストアで当たり前に売られていました。オーガニック化粧品のユーザーが多く、マスマーケットに一定のオーガニックが定着していました。
でも、日本では特別な場所でしか買えないし値段も高い。もっと多くの人に買ってもらうには、マスマーケットの中にこそ、やるべきオーガニックの姿があるんじゃないかと考えました。僕たちは次の時代を作りたかったんです。一緒に実現しましょう、とマツモトキヨシさんに持ちかけて「アルジェラン」を作り上げました。
── 「マスマーケットの中にこそ、やるべきオーガニックの姿がある」とは、具体的にはどのようなことでしょうか?
まずお客さまの視点で言うと、使い続けられるかどうかが重要です。使用感が良くて、効果もしっかりしたものであること。基本的なことですが、オーガニックで実現するのはすごく難しかった。マスマーケットにするには、価格を下げなければいけないし、使用感も上げなければいけません。それを実現したいと考えました。
社会的意義としては、オーガニック化粧品のマスマーケットを作ることが、有機農家を増やすことになります。マスマーケットができて、オーガニック原料を大量に消費できれば、農薬を使わない有機農家もそれだけ増えていくはずですよね。
“精油の力”を科学的に分析した「ザ パブリック オーガニック」
── 長い道のりを経て、2016年に自社ブランドの「ザ パブリック オーガニック」を発売します。
「アルジェラン」を作っていく中で“精油の力”をもっと引き出したいと思いました。「精油で癒やされる」と聞いても、僕は究極のリアリストなので「本当に癒されるの?」と思ってしまう。自身が納得するために、精油の効果を科学的に研究して可視化したいと考えました。
そんなとき、フランスの植物療法の第一人者、森田敦子さんを知りました。たとえば熱が上がったときは対症療法も大切ですが、原因は自分の体の中にあります。総合的にケアするには、自分の力を高めることが必要です。
その理屈を植物療法に学び、精油がどのように自律神経や免疫、ホルモンに影響しているかを分析して数値化し、「ザ パブリック オーガニック」になりました。
── 精油の力を科学的に分析して作ったオーガニック化粧品だったんですね。
そこまで精油の力に注目したブランドは世の中になかったので、ものすごく受けました。「香りがあなたの気持ちを変えますよ」という先進的な取り組みにもかかわらず、1500円ほどの手ごろな価格で全国のドラッグストアに並ぶわけですからね。
そもそもドラッグストアで精油100%の商品を販売するのは想像以上にハードルが高いです。まず、値段がとても高い。品質安定性の問題もあるし、原料の供給の問題もあります。「無理」と言われることは無数にありましたが、めちゃくちゃ苦労しながら、情熱と勢いでなんとか実現しました。
── 改めてお聞きします。なぜ「ザ パプリック オーガニック」というブランド名にしたのでしょう?
「これがパブリック(みんな)のオーガニックだ」という意味です。自信があるんですよ(笑)。
オーガニック化粧品を美容師さんに評価してほしい
── 今回、どうして「ザ パブリック オーガニック」を美容室でも販売しようと思われたのでしょうか?
僕たちのブランドは、語れるポイント、物語がたくさんあるのですが、ドラッグストアの店頭では他社と同一化してしまって伝えきれないことがあります。でも、美容室だと物語を語れたり、その場で使用していただけたりします。ヘアケア製品にこだわりがあってたくさんの良いものを使ってきた美容師さんにこそ、「ザ パブリック オーガニック」を試していただきたい。そしてお客さまに語ってもらいたいですね。
── 美容師さんが試したら語りたくなるという自信があるのですね。
「ザ パブリック オーガニック」には3つのラインがあり、お客さまのさまざまな髪質やスタイルに応じて使い分けられます。束感のある仕上がりだったりとか、他にはない香りだったりとか、プロダクトの特徴がいくつもあるので、ぜひ使ってほしい。美容師さんの経験値の中で評価していただきたいと思います。
ヨーロッパでの市場規模を考えれば、オーガニックコスメはもっと広げられる。美容室の店販として将来性があると思います。
── 最後に、橋本さんが大切にしている言葉を教えてください。
小さい頃から祖母に聞かされていた「為せば成る。為さねば成らぬ、何事も」です。
── 実際に「無理」と言われてきたことを成してきているのですから有言実行ですね。今日はありがとうございました。
橋本 宗樹
カラーズ株式会社 代表取締役
はしもと・むねき/1975年9月、東京生まれ。2000年2月にカラーズを設立し、その後、マツキヨココカラ&カンパニーのプライベートブランドである「アルジェラン」、自社ブランド「ザ パブリック オーガニック」を開発。日本のマスマーケットにおけるオーガニック・ナチュラルコスメのパイオニア。
編集/大徳明子 撮影/山田星太郎