── とても素敵な社屋ですね! まるでホテルかカフェに居るような……
ありがとうございます。私が思い描いていたものを設計士さんと話し合いながら作りました。とてもたくさん要望を出したので、ほとんど私が設計したようなものかも。
この壁のレンガも1個ずつスライスして貼り付けてあります。床材も木から選んで、カットして1枚ずつ貼ってあります。今は職人さんが減っているので、岐阜から来ていただきました。社屋の完成までに途方もない時間がかかっています。
それだけこだわったのは、社員が心地よく、ストレスフリーに近い状態で仕事ができる空間を作りたかったからです。
目指したのは、オフィスに居ながら外を感じられること。アイデアに煮詰まったときなどにリフレッシュできるよう、3つの中庭があります。
── たしかに仕事がはかどりそうです。新卒社員の採用にもつながるのでは。
これまではずっと中途採用がメインでしたが、数年前から新卒の採用もはじめました。おかげさまで、この会社規模では考えられないくらいのエントリーをいただいています。圧倒的に女性の応募が多いです。大変ありがたいと思っています。
── ところで、社長就任から7年半が経ちますが、今牧社長はあまりインタビューなどに応じていらっしゃらないのですね。改めてプロフィールをお聞かせください。
こう言ってしまうと“陰キャ”と思われるかもしれませんが、人前で話すのが得意ではないんです。できることなら社員に喋ってもらいたいと(笑)。サンコールは私の祖父が設立し、その後、血縁関係のない社員が跡を継ぎました。3代目が父で、私は4代目になります。
大学卒業後はシステムエンジニアとして働いていましたが、自分には合わないと思って1年くらいで辞めました。そのとき初めて、父からサンコールに入らないかと言われました。
でも、その前に美容師の免許を取ろうと思って、コスメトロジーという美容科があるアメリカ・ロサンゼルスの大学へ入学しました。1600時間の単位を取得すれば、カリフォルニア州の美容師の資格を取得できるんです。
大学には2年ほど通いました。日本人は器用だと言われますが、私も、同じクラスだった数人の日本人もヘアカットの成績はよかったですね。
── アメリカで美容師免許をとり、勇んで帰国し入社されたのですか。
いえ、サンタモニカで、大学の仲間と一緒に美容室を始めました。サロンをオープンしたのではなく、複数あるフロアのうち1つを丸ごと借りるかたちです。
実は、私は3つの大学に通いました。日本の大学に入り、3年生のときにオーストラリアへ留学して、帰国後にシステムエンジニアになりました。で、アメリカの大学です。本当に親のスネをかじりまくったと思います。
アメリカで美容師として働いて1年が過ぎたとき、父に「もう、いい加減に帰ってきなさい」と言われて帰国し、サンコールに入社しました。それが26歳のときです。
お客さまである美容師さんのことを知らないと仕事になりませんから、入社後はまず営業部に配属されました。
── アメリカでの美容師経験が役立ちますね。
そうですね。美容師として働いて手荒れの辛さも経験したので、システムエンジニアからすぐ入社するよりもよかったと思います。営業という仕事への抵抗もまったくありませんでした。営業部で3年ほど働いた後に異動し、経営企画室と企画部を兼務するようになりました。
商品のネーミングやパッケージ、容器のデザインなど商品の中身以外のすべてを決定して商品化するまでが仕事です。大きな会社ではないので、マーケティング部や販促部もなく、プロモーションからカタログやポスターの制作まですべて企画部が担当しています。
アメリカにいた頃、やっぱり水が硬水ということもあって、パーマ液やシャンプーなど美容室で扱うものの成分が強かったんですよね。ちょっと手に付いただけで痛がゆくなるというか。
もっと成分に配慮した手肌にやさしいものがあればと思っていました。日本に戻ってきたら、そういった商品がたくさんあってカルチャーショックでした。
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