シー・ビー・エスをグループ化し、総合美容メーカーへと躍進を遂げたリー・プログループ。
インタビュー後編では、小山直文社長の波乱万丈な人生を語っていただきました。
>> 前編:「目指すは小さな大巨人」 30周年のリー・プログループ
── 東京ご出身だそうですが、なぜ北海道で起業なさったのでしょうか?
子どもの頃に見たテレビドラマの影響で北海道に憧れていたんです。起業前は大手電機メーカーに5年勤めたんですが、会社員だった時に社長賞を取って大金をもらって、念願の北海道旅行に来ました。
その時に「ここで一生暮らしたいから事業を起こそう」と思いました。
── すぐに美容機器の会社を立ち上げたのでしょうか?
いいえ。最初はアルカリイオン整水器の宣伝講習販売など水のビジネスをやっていました。当時はお金がなくて、車庫を借りて事務所にしていたんです。
そこで「ガレージから億万長者」のような本を読んで、心は億万長者になれました。現実では裸電球で、雇ったパートさんがつくってきてくれた弁当を食べてましたよ。
── その後はどのような事業を手がけられたのでしょうか?
会社員時代の仲間と一緒に会社を設立して、ダムの水位を解析するプログラムをつくりました。僕はシステムエンジニアとカスタマーエンジニアをやっていましたので。その時に気づいたのが、少人数でやって分業しないことが最短最速、しかも最安なんですよ。
それが今のビジネスに直結してます。美容機器をつくるための金型の設計も、基板のデータ入力も自社でやります。だから製品開発が早いんです。通常は1年かかるところ半年くらいでできますよ。
── 大手電機メーカー勤務だった経験が生きていますね。
人生のドラマがいっぱいある度に、会社員時代に経験したいろいろなことがプラスになってますね。辛いことも多かったですけど。
今でも元勤務先のおかげで、当社の美容機器に使う部品の供給などができています。それから元勤務先は知的財産権をすごく守る会社で、あえて特許公開しないという手法をとっていました。それも当社の製品に生きてます。
── エステティックサロンを経営していたこともあるとお聞きしました。
以前、全国にエステティックサロンのチェーンをつくりました。北海道で4店舗、東京の池袋や千葉、名古屋にも店舗がありました。でも順調だったのは最初だけで、結局、全国展開は失敗してしまいました。しかし北海道の店舗だけは残し、なんとか営業を続けてはいました。
それからは底辺でしたね。住む家もない時期もありました。お金がなかったから、元手のかからない探偵業もやってました。食べていくのがやっとでした。何とか借金を全部返して、今の信用を築くことができました。
── 本当にさまざまな事業をなさっていますね。美容関連では他にも何か手がけていましたか?
美容ディーラー業をやっていたことがあって、当時は約20社の化粧品を扱っていました。卸先はエステティックサロンで、ピーク時は約700件と取引していました。
それと並行して美容機器の事業も始めましたが、化粧品の方がビジネスとしては楽しかったなと気づいたんです。美容機器は流行りすたりがあるから機械メーカーだけでは厳しいかなと思ったのも、総合美容メーカーになろうとした大きなきっかけですね。
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